「認知症患者家族の法的責任」

ある女性の認知症の夫が、線路に侵入し、電車に轢かれ、亡くなりました。

そのため、電車の遅延等が生じ、鉄道会社には振替輸送費や人件費等の損害が発生いたしました。

鉄道会社は、その女性と子に対して、損害賠償請求の訴えを提起しました。

この損害賠償請求は認められるでしょうか。

法律的には、重度の認知症の夫には、法的責任を負わせることはできないため、誰がこの損害を負担すべきか、問題となります。

 

ここでは、第一審の名古屋地裁の判決から振り返ってみましょう。


名古屋地裁(第一審の判断)

名古屋地裁(第一審)では、認知症の夫が線路内に侵入したことにより、列車を遅延させるなどし、鉄道会社に損害を生じさせたとして、高齢の妻(要介護状態)とその長男に対して約720万円の損害賠償責任が認められました。

(亡くなられた認知症患者が相当な資産家であることから、在宅介護を続けるならば民間のホームヘルパーを利用するなどの方法も考えられたということもその理由に挙げられていました。)


名古屋高裁(第二審の判断)

妻にどのような落ち度があったかというと、概ね次のとおりです。

当時、出入り口に来客を知らせるセンサー付きのチャイムが設置されていたのですが、①その電源を切ったままの状態で②数分間居眠りをして認知症の夫から目を離してしまったというものです。

 

第一審は、②数分間目を離してしまった事実を過失としました。

判決の当該部分だけをみると、「数分間ですら目を離してはいけない」ということになり、介護者に対して24時間の監視義務を課したようにも読めてしまいます。

 

これに対し、第二審は①センサーの電源を切ったままにした事実を、「過失」と認定しました。

ここだけを見ると、電源を入れておけばよかったのですから、一日中目を離さずに監視するよりはまだ容易です。


高裁は、過失相殺の「過失」をあえて認定せず

裁判所は、被害者(事例では鉄道会社側)にも過失が認められる場合、その過失の割合だけ賠償額を減額する、いわゆる過失相殺を行うのが通常です。

 

しかし、高裁は、鉄道会社に「過失」自体はないとしながらも、結論において、鉄道会社の過失のようなものを考慮して、賠償額を半分にまで減額したのです。「過失」を認定してしまうことの影響を考えたのかもしれません。

 

仮に高裁が鉄道会社の「過失」を認定してしまうと、その内容によっては日本全国の駅で駅員に認知症の方への監視を義務付け、駅構内フェンスを整備させることになる等、社会へ及ぼす影響があまりにも大

                            きいからです。


司法の限界

裁判官は、法律を具体的事件に適用して、紛争を解決します。

 

もっとも、「過失」のように評価を伴う抽象的な規定を適用する場合、現場の裁判官が生の事実と向き合い、どのような行為が「過失」に該当するのか、裁判の中で発見していくしかありません。

 

「過失」の認定によって、法的な注意義務が明らかになれば、それは多くの人々の行動に影響を与えます。

当該事案のように誰かに明らかな「過失」があるとはいえない場合、結局は「地域社会において誰がどのように認知症の方を見守るべきなのか」という点が問題になってきます。

 

この問題について、裁判官に踏み込んだ判断を求めるべきではないと考えます。

それは、本来、地域や社会全体が民主的な方法で決定しなければならない問題だからです。

 

 

 


最高裁の判断

 しかし、今回の最高裁判決文(※)は、一定の場合に家族や介護者に対し、重い監督義務を課していると読めてしまいます。

 

この点は、法律にない、監督義務を国民に課していることになり、民主主義の観点からは問題があるといわざるを得ません。

 

また、監督義務の内容についても、認知症患者の家族や介護している方にとって、積極的に介護に関与すればするほど、責任が重くなるという印象を与えてしまう内容になっています。

これでは、真面目に介護している人を委縮させてしまいます。

 

この点について、木内裁判官は補足意見で以下のように述べています。

「各人が引き受けた役割について民法709条による責任を負うことがあり得るのは別として、このような環境形成、体制作りへの関与、それぞれの役割の引き受けをもって監督義務者という加重された責任を負う根拠とするべきではない。」と。

 

要するに、先ほどの監督義務は、最高裁判所による判例法に基づくものではなく、あくまで国会による立法に基づく責任である、と。


参照

 ※最高裁判決文

「法定の監督義務者に該当しない者であっても、責任無能力者との身分関係や日常生活における接触状況に照らし、第三者に対する加害行為の防止に向けてその者が当該責任無能力者の監督を現に行いその態様が単なる事実上の監督を超えているなどその監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情が認められる場合には、衡平の見地から法定の監督義務を負う者と同視してその者に対し民法714条に基づく損害賠償責任を問うことができる」

 

 

 

※民法の条文

(不法行為による損害賠償)
第709条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 

(責任無能力者の監督義務者等の責任)
第714条  前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
2  監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も、前項の責任を負う。